疲れている時ほど自分で作ったものを食べたくなる。 誰かもわからない人間が作ったものを食うことは非常にリスキーだということを本能的に身体は知っているのかもしれない。 本当は母が作ったものを食べるのがいちばんなのだが、夜1時間かけて実家に行って、また帰ってくるというのは一食分のエネルギーとしては不釣り合いだから、しない。 今夜はキャベツとじゃがいもをミルクで煮て、それを軽くグリルで焼いて食べた。 朝、火を通しておいた鶏のそぼろも一緒に入れた。優しい味。母が作るホワイトシチューと似ていた。 母は見た目こそ優しげで穏やか、頭も切れるが、かなりきつい性格だ。 私も年々母に似てきている。今は離れて暮らしているけれど、たまに不意打ちで砲弾が飛んできて、3日くらい立ち直れないほどのダメージを私に与えてくる。苦労を掛けているので甘んじて受けるしかないんだけど、なかなか辛い。 母のことを書きたかったわけではない。 男性より女性のほうが長生きなのは、自分が食べたいものを食べてきたからだという説もあるんだとか。 家事を預っているのは女性が多いから。 私がものを食うときは真剣だ。身体の声に耳を済ませ、常に「今何が食べたいか、今私が食おうとしているものは本当に私の身体が欲しているものか」を問いている。 私は女だから、ホルモンバランスの何やらでそのへんが鈍ることもあるけれど、 毎食毎食真剣にそれをやっていたら、すすっと体重が落ちた。 食べたいものを、食べたい時に食べるのはストレスレスでたぶん非常に身体にいいことなのだ。 やりたいことばかりやっているわけにはいかないので、食いものは我慢しない。 それさえ出来ていれば結構幸せだ。 ...
Giovanni Mirabassiのライブに行って来ました。彼を知ったのはまだ大学生の頃。地元駅にHMVがあったので、当時まだ設立間もなかった澤野工房というまだ新しかった大阪のレーベルで扱っていたアルバムを試聴したのが始まりでした。 ウォッカのボトルのようなジャケットデザインで、音がとても美しかったのだけれど、当時の私にはまだそのリズムや変調が難しく感じられて購入には至らなかったと記憶しています。 でもずっとその名前は覚えていて、確か5年ほどまえに"C minor"というアルバムを購入しました。 何度か日本でもライブをやっているのは知っていたけれど、なかなかタイミングが合わなかったり忘れてしまったり(要はそれほどの気持ちが無かっただけだと思うのだけれど)で、足を運べずにいたのですが、1ヶ月ほど前、彼のキューバでのPVがたまらなく良くて、日に何度も見ているうちにふと思い出し、日本のジャズクラブのスケジュールを見たら彼の名前があったのですね。 素晴らしかった。 あの独特のリズムに慣れるまではやはり一曲を要してしまったけれど、彼の身体から音が出ているのでは無いかと思えるような、彼の身体の一部と化したピアノの、圧倒的なパフォーマンスでした。 目は開けてはいるけれど、あくまで補助的な役目として身体全体で聴ける、それがライブの良さだなと感じました。彼の音を聴いていると、不思議と美しい色相が見えてくるようでした。気泡の入ったガラスに反射する、淡い赤と紫の入り混じったような色。 聴きながら、気がつくと写真のことを考えていて、映像を喚起させるような音があるのなら、私の写真から音は聞こえるだろうかと思ったり、そういえば小学生の頃クラシックを聴いて感想文を書くような授業があったのだけれど、音楽を聞いていたらそれに引きずられるようにして美しい風景が目の前に浮かんで、結局その風景を元にしたストーリーのようなものを書いてしまったなとか、ラジカセであるお話を聴いて、それを絵に描く授業があったように思うけど、もしかしてお話でなくて音楽だったかなとか、音に喚起されたさまざまな記憶から、さらに音とテキストと映像がごっちゃになって何か私に強いてくるような、妙な幻影のなかで聴いていました。 あまりに集中して聴いていたもんだから、ふと気づくと「トイレを我慢している人」みたいな格好で聴いていたりして。 チケットを予約した後、ソロであることが判明して、あらトリオじゃ無かったのねなんて思ってしまったけれど、ものすごいソロでした。曲によっては目を閉じると後ろにビッグバンドが居るんじゃないかと思えてしまうくらい。彼とピアノの関係性がそれはもう優しく親密で、強くて濃厚で、ピアノと生きてきたのであろう彼の生き様を感じさせるようなすばらしい時間でした。 隣の夫ははじめこそ食い入るように聴き入っていると思っていたら、やはり日帰り出張で疲れたのか途中、濁音の入る寝息を立てたり、耳をほじほじとしていたり、その手で私の手をにぎにぎしてきたりだったけれど、楽しめたようだった。 来年もまた聴けるといい。 http://www.mirabassi.com/ ...
昨日、友人が泊まりに来た。縁あってかれこれ20年以上お互い友人をやっている。妙な縁で、中学生の頃隣のクラスに当時仲の良かった友達がいたもんだから頻繁に出入りしているうちに話すようになり、高校受験の際私は美大付属の高校を受けるも前日インフルエンザに罹り普通科の高校へ行くことになったのだが、その中学から高校へ行く生徒が私を含めたったの2名。誰かと思ったら彼女だったのだ。 なんだかよくわからないけれどテンションの低い2人は不思議と気が合って、楽しい話もシリアスな話もずっと一定の空気で話していられる。 お互い色々抱えているから、何を話しても同情もせず驚きもせず「そうか、そうか」と話していられる間柄は本当に心地が良い。 酒を飲まない頃からの友人だから、別に酒を飲まなくてもいい(飲むけど)。だから昨日は近所のアイリッシュパブでレッドアイ1杯だけ。彼女は待ち合わせ直前に貧血を起こしていたにも関わらずジン。「ジン、美味しいからね」と。 とても居心地の良い空間で、ぼそぼそと話しをしながら長居をしてしまった。 家に帰り、紅茶を飲みながらまだぼそぼそ話す。色々あるね、あははと笑える友人がいるというのは幸せだ。もちろん寝る前に鉄のサプリを飲ませておいた。 ...
この間ふと、シロップ漬の桃が食べたくなって、瓶詰めの黄桃を買った。 ちょっと贅沢に紀伊国屋のもの。その日は我慢して、次の日冷蔵庫で充分に冷えた桃を食べた。 あらかじめ食べやすい大きさにカットされているのが嬉しい。あまったシロップはヨーグルトと一緒にブレンダーで回そう、と考える。 写真はこの夏、自分用の誕生日プレゼントという名目で購入した、アンティークのキャンドルホルダー。 今の家には所謂雑貨というものはほぼ皆無で、何となくそういった「かわいくて、素敵なもの」には目を背けていた部分があったのだけれど、これは凄く欲しかったのだった。 数日前、いろんな感情が押し寄せてきて、声は上げずに数時間ダラダラと泣き続けた。 理由は分かっているけど、自分が選んだことだ。でも普段は押し込めている気持ちが、ふとした瞬間に溢れ出てしまうこともある。 何かを求めて昔の日記を読み返してみて、とても気に入っていた文章だったので転記しかけたが、やめた。そういう甘えは無しだろう。 冷蔵庫に行って、桃の瓶を開けた。想像した通りの懐かしい味が、私を落ち着かせた。 この秋は、久しぶりに小布施に行きたいと思っている。 日常から少し離れて好きな場所に身を置くのは、必要な作業。 ...