夜中からお腹が空いていたので、寝起きに薄めのコーヒーとドイツのチョコ。外は明るすぎず、でも暗くもなく。何となく昔スペインのホテルで飲んだコーヒーを思い出す。
安くて駅に近いだけが取り柄のようなホテルで、朝食を摂りに降りると若いウェイターが他のテーブルにあった一輪挿しを私のテーブルに置いてくれた。それから私のカップにブリキのやかんに入ったコーヒーを入れ、熱いミルクをなみなみと注いだ。
広場でなく駅近くに宿をとったのは、翌日の朝早く電車で南に向かうためだった。卒論を書きにという名目でスペインに来たのになぜモロッコへ行く必要があるのだと出発前父からは反対されたが、結局押し切った。
グラナダから途中で乗り換えてアルヘシラスへは3〜4時間くらい掛かっただろうか。港町特有の寂れた空気漂う街で、不安な気持ちにさせられた。
モロッコではコーヒーではなく甘いミントティーが行く先々で出された。うっかり入った絨毯屋では美しい模様の比較的小さなマットが250ドルから50ドルになるまで飲み続けたが、結局買わなかった。グラナダの宿で預かってもらっているスーツケースの中は、現地で採取した水やら読めもしない資料でいっぱいだったし、それほど欲しくもなかった。
モロッコでは "Mina" という名前の女性が多いらしい。モロッコを出る際教えてもらった。「モロッコ人なんじゃないか?」と言われたがそんなわけない。
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Giovanni Mirabassiのライブに行って来ました。彼を知ったのはまだ大学生の頃。地元駅にHMVがあったので、当時まだ設立間もなかった澤野工房というまだ新しかった大阪のレーベルで扱っていたアルバムを試聴したのが始まりでした。
ウォッカのボトルのようなジャケットデザインで、音がとても美しかったのだけれど、当時の私にはまだそのリズムや変調が難しく感じられて購入には至らなかったと記憶しています。
でもずっとその名前は覚えていて、確か5年ほどまえに"C minor"というアルバムを購入しました。
何度か日本でもライブをやっているのは知っていたけれど、なかなかタイミングが合わなかったり忘れてしまったり(要はそれほどの気持ちが無かっただけだと思うのだけれど)で、足を運べずにいたのですが、1ヶ月ほど前、彼のキューバでのPVがたまらなく良くて、日に何度も見ているうちにふと思い出し、日本のジャズクラブのスケジュールを見たら彼の名前があったのですね。
素晴らしかった。
あの独特のリズムに慣れるまではやはり一曲を要してしまったけれど、彼の身体から音が出ているのでは無いかと思えるような、彼の身体の一部と化したピアノの、圧倒的なパフォーマンスでした。
目は開けてはいるけれど、あくまで補助的な役目として身体全体で聴ける、それがライブの良さだなと感じました。彼の音を聴いていると、不思議と美しい色相が見えてくるようでした。気泡の入ったガラスに反射する、淡い赤と紫の入り混じったような色。
聴きながら、気がつくと写真のことを考えていて、映像を喚起させるような音があるのなら、私の写真から音は聞こえるだろうかと思ったり、そういえば小学生の頃クラシックを聴いて感想文を書くような授業があったのだけれど、音楽を聞いていたらそれに引きずられるようにして美しい風景が目の前に浮かんで、結局その風景を元にしたストーリーのようなものを書いてしまったなとか、ラジカセであるお話を聴いて、それを絵に描く授業があったように思うけど、もしかしてお話でなくて音楽だったかなとか、音に喚起されたさまざまな記憶から、さらに音とテキストと映像がごっちゃになって何か私に強いてくるような、妙な幻影のなかで聴いていました。
あまりに集中して聴いていたもんだから、ふと気づくと「トイレを我慢している人」みたいな格好で聴いていたりして。
チケットを予約した後、ソロであることが判明して、あらトリオじゃ無かったのねなんて思ってしまったけれど、ものすごいソロでした。曲によっては目を閉じると後ろにビッグバンドが居るんじゃないかと思えてしまうくらい。彼とピアノの関係性がそれはもう優しく親密で、強くて濃厚で、ピアノと生きてきたのであろう彼の生き様を感じさせるようなすばらしい時間でした。
隣の夫ははじめこそ食い入るように聴き入っていると思っていたら、やはり日帰り出張で疲れたのか途中、濁音の入る寝息を立てたり、耳をほじほじとしていたり、その手で私の手をにぎにぎしてきたりだったけれど、楽しめたようだった。
来年もまた聴けるといい。
ポートワインは子供の頃想像したワインの味。
甘くてコクがあって、あまりぐびぐびとは飲めない。4年前(にもなるのか)ポルトからレグアというところへ列車に乗って行った。ポートワインの生産地。9月のポルトガルは朝晩はひんやりとして、日中はきらきらと光が美しかった。ワイナリーと宿を兼ねるキンタというところに泊まり、日中はぶどう畑を散歩したりした。女主人にはお土産に虎屋のミニ羊羹を渡した。彼女がそれを食べたかどうかは分からないけど、とても喜んでいた。
レグアはReguaと書く。
ガイドブックにもレグアと書いてあったから、ポルトの駅で「レグアに行きたいんだけど」と言っても通じない。そのうちおじいちゃんたちの人だかりまで出来てしまい、そのうちの一人が「ヘグアじゃねえか?」と言った。レグアはヘグアだった。破裂音で、「ヘ」。
私の滑舌の悪い発声で「レグア」と言ったところで通じないわけだ。でも普通にレグアにたどり着いた。
その時買ったポートはビンテージのタウニーだったと思ったけど、美しい琥珀色をしていて、とても美味しかった。抜栓してから2年くらいかけて大事に飲んだように思う。飲み切るまでに、色々なことがあった。
とても美しいところだったから、今度息子を連れてまた来たいと思った。でもそう思ったことはおそらく息子には話していないと思う。
学生の頃、スペインへ行った。
伯母から「カバン持ちで来ない?」とタナボタ的な話に乗ってそこで出会ったのがアルハンブラだった。
無機的な外観に反してその内部装飾は素晴らしく、宮殿内部にひとたび入ったが最後、頭は90度上向きに固定、という状態になってしまった人々のあとに、貴方も呆然と口をあけて続く、という自体に陥ってしまうのである。
スペインのある建築家にも「ここでは建築の概念さえも忘れてしまう」と言わしめているアルハンブラには、言葉では到底語り尽くせない、視覚のみならず感覚という感覚がひとつの受け皿となって文化、歴史、宗教が降り注いでおぼれてしまうような錯覚さえ覚える。
感動する、と文字にすると陳腐に感じられてしまうが、頭を思い切り殴られたようなショックを受けた。早い話が惚れ込んでしまったのである。ここに住み込んでアルハンブラ物語という小説まで書き上げてしまったワシントン・アーヴィングの気持ちがわかる気がした。
惚れ込んだら、その魅力にどっぷり浸かりたいと思うのは仕方のないことで・・・
・・・・というのが昔書いた卒論の前置き。(ほんとはまだダラダラと続く)
あれから何度も引っ越して環境も変わったにも関わらず、引越し先に必ず持ってゆくのが卒論とアンティークショップで購入したスペインの古いタイル。
この秋、久しぶりにグラナダに行くことになった。
その前に行ったのが2008年だから、もう3年振り。「毎年来るよ」とあの景色に約束したのに果たせていなかったから、楽しみというより自分の不実さに恐縮しながら足を踏み入れる、という感じ。電車で駅に到着したら最敬礼してしまうかもしれない。
念のため夫に私の灰撒き場を伝えておこうと思う。城で、いちばん風の通る場所。




























