いろいろ雑感、思い出。

Tuesday, June 12, 2012

幼い頃から絵を描くのが本当に好きで好きで、祖父母と一緒に暮らしていた古い平屋の床に這いつくばって、三越の包装紙にボールペンで絵を描いていたのを今でもよく覚えてる。

そのまま中学生になって、しばらくして伯母の油絵の先生にデッサンと水彩画を習った。たまごの色は白くない、と知ったのはこの頃。
当然美大へ行くべく者として美大付属の高校を受験するも、前日にインフルエンザに罹り、当日点滴を打って試験会場へ向かうも、余計なお世話でストーブの真横。当然落ちてのどかな環境の高校へ。
県内で名高かった美術部の教諭は私が入学すると同時に転任。後任の顧問とはソリが合わないと直感的に判断して弓道部へ。そんなこんなで高2で叔母の家にほど近い、アートスクールに通い始めた。

ここで習ったことは今でも私の財産。とてもユニークな授業で、まず音楽から。ビートルズのアニメのPVを見て言葉に起こす、好きなものをA4の用紙数枚にわたってひたすら書く。いわゆる「絵」は自画像から。それもB2かB1というサイズ。デッサンは自分の好きな鉛筆の芯の硬さを見つけるところから始める。8Bから7Hまで使い分けできるのも重要だけど、自分の好きな硬さの鉛筆で柔らかいものから硬いものまで、描き分けることが出来るまでひたすら描いたように思う。
彫像の題材は自分の手。完成したらそれをカメラで撮影し、現像してポストカードにプリント、それをさらにデザインする。
色の好みはここで確立できた。グラフィックデザインに興味があった私は、まずその絵を書くために必要な色づくりから始めた。
ペール、ビビッド、ストロング、ダル、ダークトーン等々、約20近いカラートーンで、さまざまなメーカーのカラーチップから自分の好きな色だけをセレクトし、約250ほどのカラーを決めたら、手持ちのポスターカラーでそれらの色を作ることがスタートだった。当然容器が必要で、よくヨドバシへ行っては空のフィルムケースを大量に貰ってせっせと色づくりをしていた。要は自分だけの色相環を作る作業。
自分の好きなものを知っていて、その上で自分の好きな色を作り、構図を決定し絵を描く。絵の中で使用するテキストのフォントも作る。ここまで徹底的にやるから、描いているときに迷いがない。

それらの全てを指導してくれた先生が体調を崩されたとのことで、今は廃校となってしまったけれど、ここで学んだこと全てを生かして写真を撮っていけたらと思う。





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