祖父のこと

Saturday, October 22, 2011


祖父は私が大学に入る前に死んだ。
粋なじいさんだった。タバコはマイルドでないセブンのわりに甘党で、ホットミルクにインスタントコーヒーを溶いたものにシュガーカットというカロリーオフの甘い液体をたっぷり入れて飲むのが好きな人だった。
好きな作家は松本清張に水上勉。円地文子の文庫も数冊あった。(ちなみに円地文子の女坂は今私の手元にある。)
どこかの郵便局の局長さんをしていて、アルバイトでやってきた16も年下の祖母をかっさらったらしい。祖母は町内一の美女で、なんちゃら小町と言われていた、と祖母亡き後祖父がよく自慢気に話していた。

なかなかのお洒落さんでもあった。
郵便局の前は現在も銀座にある帽子のトラヤで働いていたためか、彼のハンチングのコレクションはかなりのものだった。私の記憶にある祖父はもう定年を迎えていたが、嘱託で働いていたらしく、通勤時にはハットと細身の無地のネクタイ、休日にはハンチングとループタイという出で立ちが強く記憶に残っている。

たまに私と姉を関内にある馬車道十番館に連れていってくれた。「今日は孫とランチに来ました」とうれしそうにウェイトレスに言いながら席についていた。私はここでケーキを食べた記憶はあまり無く、2階のレストランで家族と食事をするのが常だった。

祖母が63という年齢で無くなったあと、祖父は3年間、本当に毎日泣いていた。思春期を迎えようとしていた私は少し煙たいと思いながらも、行くと必ず生クリーム入りのチョコをくれるから、と遊びにいっては話を聞いていた。

祖父が暮らしていた家は実家のとなりで、現在は人に貸している。私はかれこれ15年以上その家に足を踏み入れたことがない。
彼が丁寧に手入れをしていた庭には、よく刈りこまれた椿の木が3本と、早春には水仙、ボケの花、蝋梅などが咲き、春にはチューリップやヒヤシンス、5月を迎えると藤棚などが楽しめた。祖父が亡くなる前はまだ小さかったさくらんぼの木は今や大きく、その隣の大島桜の白い花びらは実に見事だ。
縁側はふたつあって、祖父が作ったらしい三角形の縁側を私は「さんかくのお縁」と呼んでいた。花火をするのによい場所だった。

不思議なもので、祖父や祖母の命日が近くなると、やたらと彼らのことを思い出す。今はそのどちらでもないけれどやけに思い出すのは、銀座で粋なじいさんを見たからなのかもしれない。

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