昔の写真を引っ張り出してみる。7年ほど前の真夏の香港の写真。
当時使用していたのは主にGF1にNOKTON Classic 40mm F1.4の組み合わせ。
NOKTON Classic 40mmは中古で購入したもの。
数年ほど使用したある日、夫が何を思い立ったか酔っ払った勢いで分解清掃したら、元の形に戻らなくなって修理に出し、修理に出したらもの凄くきれいになって戻ってきてしまい、結局使わなくなって売ってしまった。
現在はいわゆるフルサイズと呼ばれるフォーマットのカメラを使用することが殆どだけど、他のフォーマットも様々なレンズの使い方が出来て楽しいな、と思ったわけで。
高いところがそれはそれは苦手なので、現在居住しているマンションは2階の部屋。前の前の部屋は5階で、その後は1階。1階の部屋はとても落ち着いた。地面に近いという安心感。でも北向きの部屋は喧嘩が絶えず、引っ越して早々に某タコ焼き店のタコ焼きをシュートして天井にソースの染みがついた。
そういえば昨年幼稚園の遠足以来ぶりにマリンタワーの展望台に登ったのだが、これがえらく揺れる。あまりに怖かったものだから、中心部分になるべく近い壁に手をついてカニ歩きで一周して、さっさと地上に降りた。できればもう2度と登りたくないが、残念なことになぜかマリンタワーの展望フロア入場券が手元に2枚もある。できれば有効期限が過ぎてからそっと思い出したい。
横浜から飛んでポルトガルはポルトでの出来事。
ドウロ川にかかるドン・ルイス1世橋というエッフェルの弟子が設計した橋がある。エッフェル塔を思わせる、大きくて美しい橋。ひとりでふらふらしていた私はなぜかこの橋を徒歩で渡ろうと思いついた。
ドン・ルイス1世橋は2層に分かれていて、下の層は車と歩行者、上の層は歩行者とトラムが渡れるようになっていたように思う。
当初下の層から対岸へ渡ろうと思っていたのだが、張り切って坂道を登っていたら上の層まで来てしまった。また下るのも面倒なので、そのまま渡ることにしたのだが、これがとんでもない失敗であった。
まず、ドウロ川というのはスペインを上流に持つとてつもなく大きな河川である。当然川幅も広く、私が渡ろうとした場所はおそらく300mほど。そしてドン・ルイス1世橋の地上高がまた高い。その高さ45m(Wiki調べ)。遮るもののない大きな川、高所、となれば当然風が強い。そして私は高所恐怖症であることをすっかり忘れていた。
渡り始めて10mほどで「私は高いことろが怖かったのかもしれない」とようやく思い出した。歩行者の通路は幅1mもない。そのすぐ横をトラムがスピードを落とさずに通る。両肩を揺らす風の強さに頭がクラクラする。当然のように足元から下の川はよく見える構造。
欄干を掴みながらゆっくり進む私を2人の爺さんが追い越してゆく。「ちょっと待って!私と手を繋いで!」と20代そこそこのへっぴり腰の女は言えるはずもなく、やがて橋の中央部分に差し掛かる。
中央部分は恐ろしいほどの強風だった。意地を張らずに引き返せばよかったと心底後悔したが、中央まで来たら残りは半分。「ドン・ルイス1世橋は怖い」歌を作って泣きながら歌い、やがて対岸へ辿り着いた。最後の5mはきっとものすごいスピードで走った。岸に辿り着いてしばらくすると両腕にじんましんが出た。きっと恐怖心に因るものだったのだろう。動悸がおさまるとじんましんも消えた。
今年は再びポルトガルへ行く。ポルトも検討していたのだが、間違ってリスボンのホテルを全日程前払いで押さえてしまったので、残念ながらドン・ルイス1世橋を渡ることは出来ない。ちょっと惜しい気もするが、あの時の恐怖を思い出すとこれで良いのだと心から思う。
雨なので、写真の整理。
シリーズ "Portugal" より2点を救出。当時「茶色い」という言葉を沢山もらいましたがなるほど、茶色い。
その他の写真は下記よりどうぞ。
MINA DAIMON PHOTOGRAPHY "Portugal"
雨の日はこんな曲を聴きたくなります。
シリーズ "Portugal" より2点を救出。当時「茶色い」という言葉を沢山もらいましたがなるほど、茶色い。
その他の写真は下記よりどうぞ。
MINA DAIMON PHOTOGRAPHY "Portugal"
雨の日はこんな曲を聴きたくなります。
2011年RING CUBEで展示した"Portugal"のスライドショーをvimeoにアップしました。
ぜひご覧ください。
他のスライドショーも下のリンクよりご覧いただけます。
https://vimeo.com/minadaimon
ぜひご覧ください。
他のスライドショーも下のリンクよりご覧いただけます。
https://vimeo.com/minadaimon
最近モノクロづいています。
というのも日中は撮りたくても撮りに行けず、ようやく夜になってさて出かけるぞとなると、やはり手に取るのはMM。
後日また告知しますが、今月末のイベントに来月の展示と、なかなか盛りだくさんの秋を迎えています。
そんなことをしているとふと以前の写真を見てみたくなるもの。
こちらは2011年展示したPortugalの写真で、当時セレクトからは外れたものです。
なんだかもやっとした像ですが、カラーのときには気づかなかった、このレンズの特性なのかもしれません。
某アロハ編集長が「やっぱりね〜ポルトガルがいいんだよねぇ」と言ってくれるように、今見てもいいなと自分でも思います。できればまた何度か撮影しに行って、何らかの形にしたい。そう思います。
というのも日中は撮りたくても撮りに行けず、ようやく夜になってさて出かけるぞとなると、やはり手に取るのはMM。
後日また告知しますが、今月末のイベントに来月の展示と、なかなか盛りだくさんの秋を迎えています。
そんなことをしているとふと以前の写真を見てみたくなるもの。
こちらは2011年展示したPortugalの写真で、当時セレクトからは外れたものです。
なんだかもやっとした像ですが、カラーのときには気づかなかった、このレンズの特性なのかもしれません。
某アロハ編集長が「やっぱりね〜ポルトガルがいいんだよねぇ」と言ってくれるように、今見てもいいなと自分でも思います。できればまた何度か撮影しに行って、何らかの形にしたい。そう思います。
3階ぶんの長いエスカレーターを下る際、上り側に小学生の女の子が乗ってくるのが見えた。
乗った途端、エスカレーターのベルトに持っていた本を開いて乗せ、熱心に読む女の子。ああいいなぁと思う。自分の世界に入り込むツールであるのは同じなのに、なぜスマホを見ている人より、本を読む人のほうが魅力的に見えるのだろう。
乗った途端、エスカレーターのベルトに持っていた本を開いて乗せ、熱心に読む女の子。ああいいなぁと思う。自分の世界に入り込むツールであるのは同じなのに、なぜスマホを見ている人より、本を読む人のほうが魅力的に見えるのだろう。
鉄道、ではなく駅で撮ることが好きです。
街なかを普通に歩いていては出会えない光景が沢山あるから。あと、立ち止まっている人が多いからスナップしやすい。
電車を待つ人、人を待つ人、行き先を確認する人。想像するのも楽しいものです。
次の行動が予測しやすいのもいいところ。
しかし、見ていると旅に出たくなります。
今年3月のトークイベントでセイケトミオさんが仰っていた「写真がどうかではなく、最終的に紙として欲しいかどうか」という言葉がずっと気になっていた。ランドスケープという言葉を日本語としてどう扱うか、ということに少し慎重になっている。一般的には「景観」や「景色」であり、それに観光的な要素や美しさという意味合いが含まれると「光景」。「風景」「情景」はあくまでパーソナルに見えた景色。
私がスナップするときは、おそらく無意識にどこかで見たであろう情景と重なりあったときなのだろうと思う。もちろんすべてが合致する筈はなく、光の方向とか、強さとか、何かのディテールだったり、いい風が吹いていたりだとか、そういった類のもの。ある感覚刺激に対して別の異なる感覚が同時に引き起こされる現象のことを「共感覚」というらしいのだが、最近似たような体験をした。あるジャズライブに行ったのだが、彼が紡ぎだすピアノの音のバランスや音の粒の美しさの中に身を委ねていたら、突然目の前に美しい色が渦巻くように広がった。メロディに合わせて形を変え、色味を変え、それは美しい世界だった。
そこまでは無いにしろ、たとえば私の写真を見て何か懐かしいような思いになるとか、良い思い出を思い出したりとか、そんな風に思ってくれたらそれはとても嬉しい。作者がフレームに収めた、いわゆる圧縮された世界を見る人が少しずつ解凍しながら見るのかもしれない。一度目は見えなかったけれど、手元に置いて何度も見ているうちに見えてくるものもある。そういった意味では、ある写真を所有するということはそのときの作者の体験を追体験するものかもしれない。写真集とは違って、オリジナルプリントの良さはそこにあるのかな、と家に写真を飾ったり、人に自分の写真を買ってもらったりするうちに思うようになった。
だから、「紙として欲しいかどうか」というのは私にとってはその写真の世界の中に身を置きたいかどうかという言葉になると思う。その写真があると、自分がまるでその場に行ったような気分になれる写真、と言い換えてもいい。
自分の理想とする写真の姿と、自分の撮る写真が次第に近づいてきたような感覚を少しずつ実感するようになってきた。だからこそ、その世界の完成形をしっかりと自分でイメージするのが大事なのではないかと思う。
その時に引っかかった言葉が、「あの写真は以前見逃していたものなのです。やはり写真を見るときの自分の状態ってあるんでしょうね。そのときは見えていなかったんです」というもの(若干ニュアンスは異なるけど)
それで私も帰宅後Portugalの展示の際見逃していたものがあるかもしれない、と写真を改めて見なおしてみたら、出てきたのがこの写真。
たぶん、そのときの私にはこの距離感が合わなかったのかもしれないし、単に見逃していただけかもしれない。
キヤノンフォトグラファーズセッションの際、立木先生が「おまえ、コンタクトシート全部見せろ」とよく言っていたのを聞いていたけれど、撮った当事者には見えない写真について、考えさせられた夜でした。
粋なじいさんだった。タバコはマイルドでないセブンのわりに甘党で、ホットミルクにインスタントコーヒーを溶いたものにシュガーカットというカロリーオフの甘い液体をたっぷり入れて飲むのが好きな人だった。
好きな作家は松本清張に水上勉。円地文子の文庫も数冊あった。(ちなみに円地文子の女坂は今私の手元にある。)
どこかの郵便局の局長さんをしていて、アルバイトでやってきた16も年下の祖母をかっさらったらしい。祖母は町内一の美女で、なんちゃら小町と言われていた、と祖母亡き後祖父がよく自慢気に話していた。
なかなかのお洒落さんでもあった。
郵便局の前は現在も銀座にある帽子のトラヤで働いていたためか、彼のハンチングのコレクションはかなりのものだった。私の記憶にある祖父はもう定年を迎えていたが、嘱託で働いていたらしく、通勤時にはハットと細身の無地のネクタイ、休日にはハンチングとループタイという出で立ちが強く記憶に残っている。
たまに私と姉を関内にある馬車道十番館に連れていってくれた。「今日は孫とランチに来ました」とうれしそうにウェイトレスに言いながら席についていた。私はここでケーキを食べた記憶はあまり無く、2階のレストランで家族と食事をするのが常だった。
祖母が63という年齢で無くなったあと、祖父は3年間、本当に毎日泣いていた。思春期を迎えようとしていた私は少し煙たいと思いながらも、行くと必ず生クリーム入りのチョコをくれるから、と遊びにいっては話を聞いていた。
祖父が暮らしていた家は実家のとなりで、現在は人に貸している。私はかれこれ15年以上その家に足を踏み入れたことがない。
彼が丁寧に手入れをしていた庭には、よく刈りこまれた椿の木が3本と、早春には水仙、ボケの花、蝋梅などが咲き、春にはチューリップやヒヤシンス、5月を迎えると藤棚などが楽しめた。祖父が亡くなる前はまだ小さかったさくらんぼの木は今や大きく、その隣の大島桜の白い花びらは実に見事だ。
縁側はふたつあって、祖父が作ったらしい三角形の縁側を私は「さんかくのお縁」と呼んでいた。花火をするのによい場所だった。
不思議なもので、祖父や祖母の命日が近くなると、やたらと彼らのことを思い出す。今はそのどちらでもないけれどやけに思い出すのは、銀座で粋なじいさんを見たからなのかもしれない。