昨日新しい飯碗が届きました。阪東晃司さんのものです。今まで使用していたのは和田麻美子さんのカフェオレボウル。(飯碗の右)。こちらもとても気に入ってはいたのですが、やはり用途と違うのは飯碗としての強度も手に持ったときの熱の伝わりも違う、ということで新調することにしました。
やはり用の美。朝炊いた炊き込みご飯がより美味しく感じます。
カフェオレボウルはカフェオレボウルとして。丸く両手で包み込むように持つのが正解。
物は少なく、という方針なので家にはあまり食器はありませんが、気に入った食器で物を食うことは、食に対しての礼儀のような気もします。
取り皿として気に入っているのは余宮隆さんの灰釉粉引のお皿ですが、こちらは月面をイメージさせる少し緑がかった色。数年前に、この色を出せる土が切れてしまったということで現在は異なる色味のものを発表されていますが、こちらもいつか手に入れたいと思っています。いずれも手の届くお値段なのも魅力。
あとは正木春蔵さんの蕎麦猪口と、カレー用にジノリの業務用プラター...(ごにょごにょ)
少し早いですが、新年のごあいさつを。
今年は1月のRING CUBEでの写真展「Portugal」から始まり、大きく飛躍のあった1年でした。7月に大阪から東京へ戻ってきたことも写真活動をするにあたり非常にプラスとなり、人間関係も広がったのはとても嬉しいことです。
そうそう、すでに恒例となったRING CUBEのイベント、「Secret〜心で感じる写真展」にも今回は参加させて頂きました。
写真を買っていただく、というのは初めてのことなのでどのような作品を出せばいいのか悩みましたが、結局自分の気に入っている写真を出展させていただきました。どんな方に購入していただくのかなと思うとなんやら嬉し恥ずかしですが、気に入ってくださったらこれほど嬉しいことはありません。
展示作品の一覧はこちら→RING CUBEのWEBサイト
それからもうひとつ、Canonのフォトグラファーズセッションに参加させていただくことになったのも嬉しく、驚いたことのひとつ。年明けに早速第2回のセッションがあるので、お正月だからといって飲んだくれている場合ではありません(飲むけどね)。
来年もさらに写真に力を入れてゆきたいと思いますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします!
むかし1ヶ月ほど滞在したスペイン・グラナダ。
あれ以来ほぼ毎年のように訪れていたのに、気づけば4年もの間ご無沙汰に。心から好きで大事なのに、なぜかそこから遠のいてしまうことは何故かよくあること。でも嘘つきな私をグラナダは以前よりもあたたかく迎え入れてくれた気がします。
フラメンコは「どうせ観光客向けでしょ?」と今まで進んで見ようとしなかったのだけれど、やはり素晴らしいものでした。力強く、そして何より撮るのが楽しい!
アルハンブラのライオンの中庭は予想通りのんびりと工事をしていましたが、晩秋のグラナダの空はそれは美しく、いつまでもここにいたいと再び思わせてくれる場所でした。
粋なじいさんだった。タバコはマイルドでないセブンのわりに甘党で、ホットミルクにインスタントコーヒーを溶いたものにシュガーカットというカロリーオフの甘い液体をたっぷり入れて飲むのが好きな人だった。
好きな作家は松本清張に水上勉。円地文子の文庫も数冊あった。(ちなみに円地文子の女坂は今私の手元にある。)
どこかの郵便局の局長さんをしていて、アルバイトでやってきた16も年下の祖母をかっさらったらしい。祖母は町内一の美女で、なんちゃら小町と言われていた、と祖母亡き後祖父がよく自慢気に話していた。
なかなかのお洒落さんでもあった。
郵便局の前は現在も銀座にある帽子のトラヤで働いていたためか、彼のハンチングのコレクションはかなりのものだった。私の記憶にある祖父はもう定年を迎えていたが、嘱託で働いていたらしく、通勤時にはハットと細身の無地のネクタイ、休日にはハンチングとループタイという出で立ちが強く記憶に残っている。
たまに私と姉を関内にある馬車道十番館に連れていってくれた。「今日は孫とランチに来ました」とうれしそうにウェイトレスに言いながら席についていた。私はここでケーキを食べた記憶はあまり無く、2階のレストランで家族と食事をするのが常だった。
祖母が63という年齢で無くなったあと、祖父は3年間、本当に毎日泣いていた。思春期を迎えようとしていた私は少し煙たいと思いながらも、行くと必ず生クリーム入りのチョコをくれるから、と遊びにいっては話を聞いていた。
祖父が暮らしていた家は実家のとなりで、現在は人に貸している。私はかれこれ15年以上その家に足を踏み入れたことがない。
彼が丁寧に手入れをしていた庭には、よく刈りこまれた椿の木が3本と、早春には水仙、ボケの花、蝋梅などが咲き、春にはチューリップやヒヤシンス、5月を迎えると藤棚などが楽しめた。祖父が亡くなる前はまだ小さかったさくらんぼの木は今や大きく、その隣の大島桜の白い花びらは実に見事だ。
縁側はふたつあって、祖父が作ったらしい三角形の縁側を私は「さんかくのお縁」と呼んでいた。花火をするのによい場所だった。
不思議なもので、祖父や祖母の命日が近くなると、やたらと彼らのことを思い出す。今はそのどちらでもないけれどやけに思い出すのは、銀座で粋なじいさんを見たからなのかもしれない。
この間、ふと思い立って松本へ行って来ました。
特に何をしに行ったというわけではないのですが、最近なかなかシャッターを押せなくなっていることに気づいてやや不安を感じていたのが理由といえば理由なのでしょうか。
信州は昔からよく訪れていましたが、とりわけ松本は好きな街です。城下町ならではの落ち着いた美しい街並みと、うまい蕎麦。もちろん現在住んでいる場所も大好きな街ではありますが、わざわざ訪れる好きな街でカメラを構える気持ちはまた少し違ったもの。
結局、「ごく普通のいい写真」が撮りたかっただけなのかもしれません。
昨日はふと思い立って夕食後カメラを持って夜スナップしに銀座へ。
そして何故かカメラは一眼。日頃小型カメラばかり使用しているのでひさびさのずっしりとした重みがどこか気持ちよく感じたのも束の間、帰る頃には右手の親指の付け根が妙な感じ。
しかしやはり重いカメラはブレないのがいいですね。
少し明るくなってきた銀座の夜はやはり華やか。これからもお散歩がてらちょくちょく出歩くことになりそうです。
そして何故かカメラは一眼。日頃小型カメラばかり使用しているのでひさびさのずっしりとした重みがどこか気持ちよく感じたのも束の間、帰る頃には右手の親指の付け根が妙な感じ。
しかしやはり重いカメラはブレないのがいいですね。
少し明るくなってきた銀座の夜はやはり華やか。これからもお散歩がてらちょくちょく出歩くことになりそうです。
鼻と口の間にある溝に出来た吹き出物がかれこれ一週間ものあいだ居座り続けている。
「よりによってこんなところにできやがって…」と今まで悪態をついてきたのだけれど文句を言った所で消えてくれないので、昨日名前をつけてあげた。
彼の名前は溝口さん。
名前をつけると不思議と愛着も湧いてくるものらしく、「あなたは私のチャームポイントよ」なんて声をかけていたら今日になってやや縮小傾向にあることに気づいた。
褒めて伸ばせならぬ、褒めて消せ、これぞ本当の褒め殺し。
写真は本文とは全く関係ありません。
「よりによってこんなところにできやがって…」と今まで悪態をついてきたのだけれど文句を言った所で消えてくれないので、昨日名前をつけてあげた。
彼の名前は溝口さん。
名前をつけると不思議と愛着も湧いてくるものらしく、「あなたは私のチャームポイントよ」なんて声をかけていたら今日になってやや縮小傾向にあることに気づいた。
褒めて伸ばせならぬ、褒めて消せ、これぞ本当の褒め殺し。
写真は本文とは全く関係ありません。
ニューレンズではなくってニューユニット。
最近はGXRかLeicaM3を持ち歩くことがほとんどなのですが、つい昨日GXRの新しいユニットを手に入れました。
レンズはCanon1.2の50mmのLにアダプタかませて装着。早速夜の銀座界隈をスナップしました。
これでLeicaとGXR同時に持ち出せるというもの。スナップがより楽しくなりそうです。
最近はGXRかLeicaM3を持ち歩くことがほとんどなのですが、つい昨日GXRの新しいユニットを手に入れました。
レンズはCanon1.2の50mmのLにアダプタかませて装着。早速夜の銀座界隈をスナップしました。
これでLeicaとGXR同時に持ち出せるというもの。スナップがより楽しくなりそうです。