ライブ

Wednesday, September 26, 2012


Giovanni Mirabassiのライブに行って来ました。彼を知ったのはまだ大学生の頃。地元駅にHMVがあったので、当時まだ設立間もなかった澤野工房というまだ新しかった大阪のレーベルで扱っていたアルバムを試聴したのが始まりでした。
ウォッカのボトルのようなジャケットデザインで、音がとても美しかったのだけれど、当時の私にはまだそのリズムや変調が難しく感じられて購入には至らなかったと記憶しています。
でもずっとその名前は覚えていて、確か5年ほどまえに"C minor"というアルバムを購入しました。

何度か日本でもライブをやっているのは知っていたけれど、なかなかタイミングが合わなかったり忘れてしまったり(要はそれほどの気持ちが無かっただけだと思うのだけれど)で、足を運べずにいたのですが、1ヶ月ほど前、彼のキューバでのPVがたまらなく良くて、日に何度も見ているうちにふと思い出し、日本のジャズクラブのスケジュールを見たら彼の名前があったのですね。

素晴らしかった。
あの独特のリズムに慣れるまではやはり一曲を要してしまったけれど、彼の身体から音が出ているのでは無いかと思えるような、彼の身体の一部と化したピアノの、圧倒的なパフォーマンスでした。
目は開けてはいるけれど、あくまで補助的な役目として身体全体で聴ける、それがライブの良さだなと感じました。彼の音を聴いていると、不思議と美しい色相が見えてくるようでした。気泡の入ったガラスに反射する、淡い赤と紫の入り混じったような色。
聴きながら、気がつくと写真のことを考えていて、映像を喚起させるような音があるのなら、私の写真から音は聞こえるだろうかと思ったり、そういえば小学生の頃クラシックを聴いて感想文を書くような授業があったのだけれど、音楽を聞いていたらそれに引きずられるようにして美しい風景が目の前に浮かんで、結局その風景を元にしたストーリーのようなものを書いてしまったなとか、ラジカセであるお話を聴いて、それを絵に描く授業があったように思うけど、もしかしてお話でなくて音楽だったかなとか、音に喚起されたさまざまな記憶から、さらに音とテキストと映像がごっちゃになって何か私に強いてくるような、妙な幻影のなかで聴いていました。
あまりに集中して聴いていたもんだから、ふと気づくと「トイレを我慢している人」みたいな格好で聴いていたりして。

チケットを予約した後、ソロであることが判明して、あらトリオじゃ無かったのねなんて思ってしまったけれど、ものすごいソロでした。曲によっては目を閉じると後ろにビッグバンドが居るんじゃないかと思えてしまうくらい。彼とピアノの関係性がそれはもう優しく親密で、強くて濃厚で、ピアノと生きてきたのであろう彼の生き様を感じさせるようなすばらしい時間でした。

隣の夫ははじめこそ食い入るように聴き入っていると思っていたら、やはり日帰り出張で疲れたのか途中、濁音の入る寝息を立てたり、耳をほじほじとしていたり、その手で私の手をにぎにぎしてきたりだったけれど、楽しめたようだった。

来年もまた聴けるといい。

http://www.mirabassi.com/

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